普段はあまり気にしないかもしれませんが、食べ物がないと人は生きていけません。新型コロナウイルスの影響で「ホットケーキミックスが品切れになった」「小麦粉が店頭から姿を消した」と騒ぎになったことから、食に対する認識を新たにした人も多いことでしょう。
2018年の農林水産省のデータによれば、カロリーベースの日本の食料自給率はわずか37%。6割以上を輸入に頼っている計算になります。
農林水産省では、食料自給率を上げるために以下の計画を立てています。
- 現在ある農地を最大限に活用して、新規就農者と定着率を向上させること
- 技術革新により労働生産性を上げることで、労働充足率を向上させること
このことから、食料自給率が低い原因は、国土の狭さというより、慢性的な人手不足だということがわかります。
「就農する人を増やしたい」「定着率を向上させたい」「国内の食料自給率を上げたい」――そのような想いを持って、作物ではなく“農家”そのものを提供するビジネススタイルを取っている起業家がいます。北海道更別村の岡田昌宏さんです。
なぜ北海道でそのような事業を立ち上げたのか、IT × 農業の将来についてどのように考えているのかについてお話を伺いました。
農業の最先端拠点「北海道更別村」
1万831.24k㎡の面積を持ち、カロリーベースの食料自給率が約1,100%もある十勝地方に位置する更別村。総面積の約7割が畑作地で、主な作物は、馬鈴薯、小豆、大豆、甜菜、小麦など。加工食品の原料を供給する地域でもあります。
農家1戸あたりの農地面積は約50ha、トラクターの平均保有台数が6台など、国内トップクラスの大型農業という形態は、欧米型に近く、常に効率化を考える必要があるといいます。
このような背景から、更別村は2018年8月に「世界トップレベルの『スマート一次産業』の実現に向けた実証フィールド形成による地域創生」のモデル地域に選ばれました。
これは「近未来技術等社会実装事業」の一環で、農業分野で新技術をどのように使えるのかを実験し、普及させることを目指したものです。そして、その中核となる人物が岡田さんというわけです。
東京で農業関連企業に就職した後Uターン
岡田さんは、更別村の出身。更別農業高校を卒業後、帯広畜産大学へ進学。2年生の時にインターンシップ制度を使い、北海道農業研究センターで研究に携わります。
大学卒業後は、上京してキリンビールのグループ会社であるジャパンポテトに就職。全国を回って栽培指導を行ったり、営業活動をしたりしていました。
しかし、知識の足りなさを痛感するとともに、農業への想いなどが募り、帰郷。実家である岡田農場で働きながら、社会人大学生として帯広畜産大学で修士課程へと進み、さらに大学生時代に通っていた北海道農業研究センターへも足を運んで馬鈴薯の研究を行っていました。
起業への道標ができたのは、大学院での修士課程を終えてから。十勝さらべつ熱中小学校(以下、熱中小学校)へ通い始めたことがきっかけでした。
「熱中小学校は、地方創生の大人向けの塾のようなもの」と岡田さん。「取り組みに興味はあったものの、きっとそれだけでは通おうとは思いませんでした」と話します。
岡田さんを動かしたのは、その事業に西山猛更別村長が携わっていたから。西山村長は、岡田さんの小学校時代の先生で、お世話になっていた人物だったのです。
熱中小学校で、さまざまな先生たちから話を聞くうちに「こういうことも、仕事になるのか」というのが見えてきたという岡田さん。国が行っているスマート農業の実証事業に注目しました。
スマート農業とは、ロボットや情報通信といった技術(ICT)を活用して、少ない人手で、しかも人力で行うより精密に作業でき、より高品質な作物、より高い収穫量の実現を目指す新しい農業のこと。
岡田さんは、その実証事業を自分たちで行うために合同会社更別プリディクションを設立し、スマート農業のために足りない技術を開発するため、友人を巻き込みつつ、いくつかの会社を次々と起業していきます。
「やりたいと思って起業したわけではなく、やりたいことを実現するために起業することになった、というのが現実ですね」と岡田さん。「国の事業を自分たちで行うには法人化しないといけないなど、必要に迫られたから、という流れでしょうか」と笑って振り返ります。
人のつながりと経験がパズルのピースのようにピッタリ合致
岡田さんの起業の発端となったのは、熱中小学校への入校でした。入校する動機には、恩師の影響がありましたが、それ以外にも岡田さんの経験やさまざまな人物が関係していました。
ひとつは、岡田さんがもともと農家の息子であり、栽培や育種といった農業の根幹部分の研究を行っていて、知見があったこと。また、ジャパンポテト時代に全国の農家を回りながら営業・マーケティングを経験していたこと。IoTの知見があり、ガジェット類が好きだったこと。北海道農業研究センター元領域長で、現東京大学特任教授の平藤雅之さんと出会っていたことなどです。
「平藤さんが、農研機構を定年退官され、東大の特任教授になられたわけですが、その東大が、国から事業のための予算を振り分けられていた。スマート農業の必要性をわたし自身が痛感していたこともあり、一緒にやらせていただくことになった、というわけです」
更別村のスマート農業事業の中核として岡田さんが選ばれたのも、その経験や知見によるものでした。農家というバックボーンを持ちながら、データの重要性やそれを利用するための技術開発の必要性を理解していたからです。
「仕事の内容は、ドローンを飛ばしてデータを取ることなど業務委託が多いのですが、メインはスマート農業を構築していくことです。スマート農業の実現に向けて、必要なものをすべて一箇所に集めないと進んでいけません。そのために、今は兄が経営する岡田農場を使わせてもらっているんです」と実家と自身の会社の関係について説明しました。
こうして、東京ドーム12個分にあたる、約60haもの広大な土地を活用したスマート農業の実証事業がはじまったのです。
しかし、スマート農業には、通信回線が必要です。その環境はどのように整えたのでしょうか。お話は後編に続きます。