インターネットやITツールが商売や仕事の常識を変えた例は枚挙にいとまが無い、と言っても過言ではないでしょう。たとえば地方の山奥で営まれていた小さなビジネス、あるいは個人で作った物が、インターネットを通じて世界から注目されたり、注文が入ったり。そんな話は珍しくありません。それは、Uターンや都市からの移住を検討する際に、追い風になりました。

雄大な北海道・十勝平野の北西部にある河東郡鹿追町。そこで宿泊機能を備えるカフェ「トマルカフェ鹿追」を経営する正保縁(しょうほ・ゆかり)さんもそんな移住者の1人です。

トマルカフェ鹿追には、2018年のオープン以来、地元のリピーターから、外国人宿泊客までたくさんの人が訪れました。その多くは公式サイトや宿泊情報サイト、SNSを経由してトマルカフェ鹿追の存在を知ったといいます。2020年夏現在は、新型コロナウイルスの影響で海外からのお客さんの足は滞っていますが、今も北海道の美しい自然に憧れるたくさんのツーリストが、いつか訪れる日を想像してサイトやSNSをチェックしているに違いありません。

では、正保さんはなぜ北海道に移住し、トマルカフェ鹿追をオープンするに至ったのでしょう?その経緯、そして暮らしと仕事について伺ってみました。

北海道の「大きさ」に惹かれて

「この機会を逃したら、北海道に住むチャンスはないかも」

関西圏の会社に勤めていた四国出身の正保さんが、そんな決心のもと、北海道への移住を決めたのは30歳を過ぎた頃でした。北海道との縁は、大学時代に遡ります。

「北海道に漠然とした憧れがあって。出身地の香川県は面積が小さい県なので、北海道の〝大きさ〟に惹かれたのかもしれませんね」

そんな思いに、母方の実家が農家で、遊びに行くたび祖父母の農作業を手伝うのが楽しかった経験が加わって、高校卒業後は北海道網走市にある東京農業大学北海道オホーツクキャンパス(生物産業学部)へと進学。バイオテクノロジーを学んでいました。

「住んでみると、広く、雄大で、大らかな北海道の環境は性に合って。卒業後も農業の仕事で北海道に残りたかったのですが……」

時代は就職氷河期。希望通りの職に就くことは叶わず、地元・香川、そして関西で働く20代を送りました。

「それでも北海道には友人がたくさん住んでいましたので、たまに遊びに行っていました。すると〝やっぱり北海道で暮らしたい〟という思いが消えなかったんですよね」

北海道への思いを胸に秘めながら働き、30歳を迎えたタイミングで、仕事に転機が訪れます。そこで関西や地元での転職も考えましたが「北海道に住むなら最後のチャンスかも」と移住を決めたのでした。

しかし、しばらく離れていた北の大地に、住まいや職のアテはありません。できれば北海道の自然の中で、農業関連の仕事をして暮らしたいとなれば、何かと職の多い都市部も選択肢から外れます。いろいろと移住の情報を集める日々。その中で見つけたのが、鹿追町の「農業実習生プログラム」。農家で働きながら農業を研修する制度です。

「同じ北海道でも大学時代を過ごした網走といま暮らしている鹿追は距離がありますが、十勝出身の友人もいて実家に遊びに行ったこともあるので、土地には親しみもありました。十勝はまさに西の人間がイメージする北海道そのままの場所。宿舎も素敵だったんです(笑)。いわゆる十勝の畑作4品(小麦、てん菜、ばれいしょ、豆類)を手がける農家さんに派遣され、朝から晩まで農業と向き合う生活を送りました」

「地域おこし協力隊」との出会い

そして1年間のプログラムが終了。思い焦がれた土地での生活は、やはり最高でした。

「久しぶりに生活してみて、あらためて北海道のよさに魅了されました。どこが良い、というよりも、違和感なく自分が過ごせるという感覚。広い大地に身をおけるのが思いのほか気持ちよかった。周囲の人の存在も大きかったですね。移住の成功は地元のキーマン的な人とつながれるかが大きい。その意味で私は人の縁に恵まれました」

こうして正保さんの北海道移住への気持ちは揺るぎないものに。「どうしても鹿追町に残りたい」と方法を模索します。そして今度は「地域おこし協力隊」という制度を利用しました。

地域おこし協力隊とは、過疎化、高齢化が進む地方で、地域外の人材を積極的に受け入れ、地域協力活動を通して定住を図る制度です。正保さんが就いた地域協力活動は、バイオガスプラント(再生エネルギー)を利用してサツマイモを育てるプロジェクトでした。大学時代、バイオテクノロジーを学んだ経験が買われ、3年後の独立を前提に事業に取り組むことに。

「結果的にバイオガスプラントに関わることができたのはよかったです。まだ取り組んでいる人が少ない新しい技術ですし、街の施設も魅力的でした」

めどがついてきた正保さんの移住計画。道が見えてくれば計画も具体的になってきます。

「3年後、独立したときにサツマイモ作りだけではなく、複数の事業をしたいと考えていました。その点で十勝の農業は冬場に時間が取れるので魅力的だったんです」

複数事業を志した理由のひとつはリスク回避。天候などに収穫が左右される農業は、不安定な事業でもあります。父が自営業者だったという正保さん、肌感覚で事業の条件や規模を考えると単一事業だけでやっていくには無理があると判断したそうです。移住が定住になるには、経済的な安定も重要。末永く北海道で暮らすために真剣に考えた結果でした。

「それに単純に複数の事業をやるほうが自分には合っているかな、という気もしていたんです。バイオガスプラントは他の地域から視察に訪れる人も多かったので、ガイドもしていたのですが、これも仕事にできるかな、と感じましたね。今、グリーンツーリズムの仕事をしているのは、その名残です」

北海道の自然に魅せられた正保さん、農業だけではなく、様々な角度から北海道という土地に携わりたかったのかもしれませんね。

「ただ、自分がカフェをやるなんてことは、想像はしていませんでしたけどね」

蕎麦が名産の鹿追で、一味違う名物を

では逆に、なぜトマルカフェをオープンするに至ったのでしょうか。

「タイミングと良い縁が重なった結果ですね」

きっかけは十勝管内の食のイベントで、後にトマルカフェのシェフを務めることになる出口里美さんと出会ったことでした。

「彼女の料理がとんでもなく美味しくて衝撃を受けたんです。この素晴らしい料理をたくさんの人に食べてほしいと感じていたら、出口さんがちょうどフリーとして独立すると聞いて。実はそれと同じタイミングで私は引っ越し先の家を探していたのですが、その候補のひとつにしていた素敵な空き家があって、リノベーションして使えないかな、と思っていたんです」

リノベーション前の写真
リノベーション前の写真。この状態から、思い描くスペースにリノベーションしていった

あそこをカフェにできないか——。ひらめいた正保さんは早速、町の関係者に相談。「町のためになら」と使用の許可を得ることができました。出口さんにもその提案を快諾してもらい、トントン拍子で話が進みました。こうして2018年4月、トマルカフェはオープンしました。

「築60年になる2階建ての建物。厨房と菓子工房を備え、1階のカウンターとテーブル席に、親子やお年寄りもゆったりできるカーペット敷きの小上がりを設けました」

目玉の料理は蕎麦粉のガレットや蕎麦粉を使用したケーキやコーヒー、それに自家製ジンジャエール。蕎麦の産地として有名な鹿追町で、あえて蕎麦以外の名物を作ろうと意気込みました。それは他のお店にはない個性。トマルカフェならではの魅力にもなります。

「鹿追町内で私が育てたサツマイモもサラダやスープ、デザートなど多くの料理に生かしました。その他の野菜も信頼できる地元の農家さんが手がけたもの。魚や肉も十勝産、北海道産にこだわりました」

そして、冒頭でも述べた通り、トマルカフェ最大の個性は宿泊施設を備えるホテルとしての機能も備えたこと。

「2階には1グループ、1家庭で泊まれる宿泊施設を備えました。リノベーションでは昔の梁が見えるようにして現代風なデザインである一方で、懐かしい感覚も残しています。宿泊スペースは昔読んだ童話の世界の屋根裏部屋のような空間ですよ」

白で統一したインテリアの宿泊スペース 白で統一したインテリアの宿泊スペース

それにしても、なぜカフェに宿泊施設を設けたのか?この疑問の回答は正保さんが考える地域とのつながり、そして移住を成功させた仕事のスタイルが影響しています。後編ではそこをじっくりとうかがいましょう。